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潜在意識が浄化されてくると、さまざまな神秘体験が起こるようになります。
数ヶ月前からヨガを始めた友人がいるのだけど、彼女には最近、直感能力がついてきたようです。直感能力というのは、未来予知能力の前段階の事ですね。 なぜそんなことが起こるのかというと、私たちには三つの意識があって、一番深い意識がデータの世界、次がイメージの世界、そして最後がこの現象界となっています。 なので何か現象が起きるときにはその順番でこの現象界に降りてきます。 そこでイメージの世界、潜在意識が浄化されていると、この現象界に降りてくるまえに、そこのデータを読み取ることができてしまうんですよね。 そんな彼女は、日々潜在意識の浄化と徳を積む実践に励んでいました。 潜在意識の浄化にはいろいろあるのだけど、基本的にはまず余計なデータを入れないってことですね。 そして徳を積む実践とは、ヨガにはヤマ、ニヤマといって、やってはいけないことと、やった方がいいことと言うのがあるのだけど、まずはそれを実践していくことかな。 厳密にいうといろいろあるんだけど、わかりやすく言うと、自分がされたら嬉しいと思うことを他にもなし、自分がされたらイヤなことを他にもしないってことですね。 私もそのような生活を始めてから何年かたつので、直感能力みたいなものはついてきています。 あるバンドの歌がいきなり頭の中に流れ出し、「へんだな」と思ったら帰りにそのバンドのヴォーカルを見かけたことが過去に2回ほどあったり、「あ、こういうことが起こる」と思うと、そのようなことが起きたり。 そういえば他にもいろいろな事があったのだけど、あまり意識していなかったのですぐには思いうかばないなあ。 これからはもう少し意識してみようかな。 # by tokkom | 2006-06-15 02:02 | ライフワーク
ピアノの音って、星の瞬く音に似ていると思いませんか。
「星の瞬く音なんて聴いたことがあるの?」 などと聞かれたら答えに困ってしまうのだけど、そうとしか表現のしようがないんですよね。 私はあのきらきらとした懐かしい響きがとても好きで、じっと聴いているうちに自分が溶けていってしまいそうな気がするの。 そしてピアノを聴いた後は、何も言葉を発したくなくなる。 不用意に言葉を発することによって、内側に生じたきらめきをかき消してしまいそうで。 ![]() このCDの中に入っている、ドビュッシーの「夢」「アラベスク」がすき # by tokkom | 2006-06-10 02:32
毎日続けるのは厳しいかも・・。
無理はやめて、また今までどおりのペースにもどします。 # by tokkom | 2006-06-06 02:08 | 日記
昨日は「風エネルギー」のトレーニングを受けてきました。
簡単にいうと気功みたいなものなのですが、これがすっごく効果的で、終わったあとの体が軽いこと軽いこと。 気の通りが良くなると意識が鮮明になり、今もぜんぜん眠くなくなります。 もともと寝るのは遅いんだけど、なんというか、とってもスカっとしているのですよ。これなら寝なくても大丈夫なんじゃないかと思えるほど。 でも油断は禁物ですね。無難な線でいきましょう。 この調子なら良い夢が見られそう・・。 # by tokkom | 2006-06-05 02:43 | 日記
続けるといっておきながら、前回以降ちっとも書いていませんでした。
口に出したことはきちんと実行しないとね。 そうしないと、自分の思ったとおりに現象が動かなくなってしまう。 言葉には現象を動かす力があるんですよね。 言葉や音、要するにヴァイブレーションというのは潜在意識と関係があるんだけど、この現象界というのは、その潜在意識にあるものが現れてきているに過ぎないんだよね。 もっと言えば、さらにそれよりも深い超潜在意識にすべてのデータが詰まっていて、そこにあるデータが潜在意識でイメージ化し、現象界に降りてきているんだけど。 だからまずは、日ごろからどういうデータを取り入れるかがとっても大切なんですよね。 肯定的なデータを多く取り入れていれば肯定的になるし、否定的なデータを多く入れていれば否定的になってしまう。 そんなこともあり、私はテレビや雑誌、あまり必要ではない本は読みません。そこにあるのは、暴力、性欲、物欲、食欲を強めるものがほとんどで、それらは私自身に偏ったデータを構築させ、現象を正しく判断できなくなり、結局は苦しみをもたらすからね・・。 そんな生活を始めてから約4年がたちましたが、なんと言っても夢見がきれいになりましたね。夢は潜在意識だからね。 そしてそういう状態で発する言葉というのは、潜在意識に余計な障害物がない分、現象界に与える影響はかなりダイレクトになります。 なのでなので、もしも人を傷つける言葉や否定的な言葉を発したら、その言葉が現象化して自分に返ってきてしまうし、嘘をついたら今後自分が何かを達成したいことがあっても、それが達成されなくなってしまう。 なので、口に出したことはきちんとやらなくちゃね。これもひとつの嘘になってしまうから。 # by tokkom | 2006-06-03 12:20 | 日記
今まで月に1回しか更新しないなんてこともありましたが、とりあえず続けることを目標に書いていこうかなーと思いました。
軽い日記くらいなら書けるものね。 そんなわけで、珍しく昼から書き始めています(早速乗り気 笑)。 ゆうべは妙な疲れ方をしていて、いつもならありえないのだけど、シャワーも浴びずに畳の上に寝っころがり、そのまま眠ってしまった。 目覚めたら朝の5時。 フトンもかけず、窓も明けっぱなしで寝ていたはずなのにちっとも寒くなかった。 ゴミを捨てにそのまま外へでたら生ぬるい風。 もうすぐ夏なのですね。 # by tokkom | 2006-05-20 14:16 | 日記
あまりにも久しぶりの更新で、パスワードも半分忘れかかっているところでした。 確かにパソコンて便利だけど、こんなところで不便さも感じてしまいますね。
いやはや。 さて、久しぶりの日記に書く話題でもないのですが、こちらも何年かぶりに、ファンデーションを塗って職場へ行きました。 久しぶりのファンデーション! もしや特別なイベント、あるいは心ときめく異性の出現か! とでも思われるかもしれませんが、どちらも全くの不正解。 ただ単に試供品をもらい、捨てるに捨てられず仕方なく消費してみた・・・というだけの話しです。 いやあ色気がないですねえ(笑)。 しかし今日は本当に顔が疲れた。 いつもは日焼け止めクリームを塗った上にパウダーをはたくだけだったので、ファンデーションがここまで重たいものだったとは・・・。 とは言っても、数年前まではかなりの厚化粧だったんですけどね。 その時はファンデーションが重たいなんて感じたこともなく、むしろ薄いんじゃないかと思って何度も何度も重ね塗りを繰り返していたくらいでした。 いやー、麻痺ってこわいですね。 まあこの現代で普通に生きていられるということ自体、何らかに麻痺させられていることなんだろうとは思いますけどね。 早く正常な感覚を取り戻し、そしてそれを失わないように・・。 ![]() # by tokkom | 2006-05-19 22:14 | 日記
私は花粉症ではないはずなんだけど、去年から突如として花粉症になってしまったらしい・・。
突然大きなくしゃみが止まらなくなったり、ふと気づくと水みたいな鼻水がツーっと流れていたり・・。 花粉症に限らずアレルギーというのは、嫌悪の気持ちが強いとなるらしいです。 そもそもアレルギーというのは、自分ではない異質なものをいやがる心の働きでしょ。だからそういう気持ちの現れとして、アレルギーというものが発生するらしいのです。 これは数年前に知り合った人の話しなのですが、その人はこの理論を知っていて、自分の花粉症に当てはめ、あることを実践しつづけたそうです。 それは何かというと、 「花粉はオレだ。」 と常に思いつづけていたのですって。 「花粉」と「オレ」という、自分と他人を区別した考えがアレルギーを起こしているのだから、「花粉=オレ」という公式に変えてしまおうと企んだわけですね。 そしたらなんと、花粉症が治ってしまったのだそうです。 これはすごいよねー。 私もやってみようかな。 でも私の場合は思い込みかもしれない。 数年前に喘息になって病院へ行ったとき、「アレルギーはありますか」と聞かれて、「花粉症です。たぶん。調べていませんが」と答えたら、花粉症のアレルギー検査もしてくれたの。 そしたらなんと、「花粉症ではないです。アレルギーは何もないですね」という診断がおりたのです。 それからというもの、花粉症らしき症状はピタリと出なくなってしまったのです。 私は自分が花粉症だと勝手に思い込んでいたんですね。 なぜかというと母親が花粉症で、「あんた花粉症大丈夫?」とよく聞かれていたため、なんとなく「ああ、自分も花粉症かも」と思うようになったのがきっかけではないかと思います。 そして去年の今ごろ仕事を変え、季節が季節だったため、多くの人が挨拶がわりに「花粉症大丈夫?」と声をかけてきてくれたの。 その都度、「はい。私は昔、思い込みで花粉症になっていて・・」という話しを延々繰り返していたのですが、もしかしたらそのとにきデータ負けしちゃったのかな。 それから数日後、私は鼻水とくしゃみが止まらなくなってしまったのです。 やっぱり私もやろうかな、「花粉はオレだ」療法。 # by tokkom | 2006-03-26 03:02
いつからなのか、私は漢字というものに興味を持つようになっていました。
かといって漢字検定を受けたり、漢字について深く学んだりというかたちでの興味ではなく、ひとつの漢字を分解して、そこから意味を探り当てるという作業がすきなんです。 今日はその中でおもしろいと思ったものを、いくつかご紹介させていただきたいと思います。 これは聞いた話しなのですが、俗人の「俗」という字と仙人の「仙」という字、これにはなるほどなーと思いました、。 まず、俗はにんべんに谷という字からできていますよね? これはどういう意味かというと、俗人は谷に埋もれて低い位置にいるから、世間を見渡すことができないという意味なんですって。 で、仙人の方はにんべんに山でしょ。これは山の上、高い位置にいるから、こんどは俗人とは逆で、世間を見渡すことができる存在という意味なのだそうです。 あと巫女の「巫」という字、この字を分解すると、天と地をつなぐ人、という意味があるのだそう。 -(天)と_(地)を l (つなぐ)人(ひと)ですね。 へーなるほど~って感じじゃないですか!? あと、癌という字、これは「やまいだれ」に品物の山という字をかきます。 貪りの強い人は癌になりやすいと聞いたことがありますが、字にもはっきり現れていましたね。 おお怖い、早く貪りをなくそうーっと。 # by tokkom | 2006-03-22 02:45
とっても久しぶりに書きます。
いろいろ思うことはあったんだけど、なかなか時間がなくて・・。 先日、祖母が亡くなりました。 亡くなる1週間くらい前に母親から、「おばあちゃんが末期がんでホスピスに入ったのよ。もう少ししたら良くない知らせが入るかもしれないから、心の準備だけはしておいてね。」というメッセージが留守電に入っていたので、その翌日に実家に電話をしたら父が出、「もう4,5日も持たない」とのこと。 とはいえ予定より数日長く生き長らえ、母も嬉しそうに「おばあちゃん、意外と生命力があるみたい」なんて言っていました。 でも、ほんの数日長く生きたとしても、それでなんだっていうんだろうなー、というのが私の正直な感想でした。 その長く生きた間、祖母にとって何かプラスになることがあればいいけど、ただ死ぬ日が数日遅れるだけだったら、それは別に何のメリットもないんだよね。それは母もわかっていることだろうけど、現代には「長く生きることは素晴らしい」という考えしかないから、母もそういうデータによって、深く考えることなく、ただ反射的に長生きを喜んでいるだけなんだろうなーって思いました。 固定観念っていうのかな、そういうものが確立してしまうと、深く考えさせることや、発展的な考え方をシャットアウトしてしまうような気がします。 母親やおばが言うには、祖母は非常に恵まれていたのだそう。何がというと、祖母の入ったホスピスは入院希望者が多く、そう簡単には入れないところだったのだそう。そこへすんなり入れるなんて、本当に良かったね、ということなのだが、何がどういいのかというと、ホテルのように綺麗である、設備が整っているということでした。 私はてっきり、死のガイダンス等があり、死に行く人のためのケアが充実しているのかなと思ったけど、そういうことではなかったみたい。なんだかがっかり、という感じですね・・。 私の愛読書に、チベット死者の書というものがあります。 これは死んだ魂に49日間読み聞かせてあげるもので、その魂をできるだけ高い世界へ生まれ変わるように誘導してあげる、バルド(死んでから生まれ変わるまでの49日間)での導きの書、なのです。 魂は死ぬと、深い深い意識につっこみます。そしてそこではとてもまぶしい透明光に包まれるそうです。その後も様々な光や平和の神々のビジョン、恐怖の神々のビジョンというものが現れるみたい。もしもそこでその魂が救済されれば、人間からみたら想像も絶するような高い世界へ生まれかわることができるんだけど、たいていの魂は深い意識に、多くのいらぬ情報を入れたり(テレビ、ラジオ、人との会話などなど)、多くの闇を蓄積しているため、そのチャンスの瞬間に気絶を起こしてしまうのだそうです。 そしてその気絶状態から覚めたときには、すでに苦しみの六道(天、阿修羅、人間、餓鬼、動物 、地獄)にまつわる具体的なビジョンや経験が始まっている。。というのが、まあ現代人のパターンらしいです。 この「チベット死者の書」NHKスペシャル版ー(原典は難しいのでちょっと敬遠・・)によると、アメリカのあるホスピスでは、このチベット死者の書を使っての死のガイダンスが行われているらしい。 そこで残りの生を、その瞑想によって過ごすみたいなの。祖母にもそういう生き方、というか死に方をさせてあげたかったな、と思う。 祖母は97歳でしたが、「死にたくない」って言ってたんだって。 私たちからみたら、97歳なんて大往生だよ、良かったね、なんて思うかもしれないけれど、当の本人にしてみたら、いくら長生きしたからといって、生きることに未練がないといったらそうではないんだよね。いくら長生きをしたとしても、死の瞬間に思うことは、誰も同じなんだろう。「なんて短い生だったんだ」「私はまだまだ死にたくない」「もっと生きていたい」と。 そんな思いを抱えたまま死んでいくって、なんて辛いことなんだろうって思った。未練って、つらいよね。どんなことも。 私は子供のころから、「死」についてよく考えていたな。まず、自分がなぜ生まれたのかが不思議だったし、いつか死ぬならなぜ生まれてきたんだろう?という答えのでない疑問をずっと抱えていました。 みんな死についてどう思ってるんだろう?私みたいに死について考えて、逆に生きることに疑問を抱き、答えが出ないことからくる恐怖を味わっている人はいないのだろうか?という事をずっと考えていました。 私は幸運にも、死や生まれ変わりについての教えを学ぶことができたけど、それを求めていても得られないことからくる苦しみを味わっている人もいるんじゃないかなーなんて思うし、そのつらさや苦しさはよくわかる。 死は誰しもが体験すること。それなのに、なぜその死に対する答えがないんだろう?考えたらおかしなことだよね。 それなのによくみんな狂わないで生きていけるなーとしみじみ考えてしまう。というより、考えないようにさせられているんだろうね。 祖母の入院していたホスピスは、確かに綺麗でした。化粧をしたことのないという祖母に施された死化粧もとても綺麗で、本当にガンで死んだのかが疑わしいくらいでした。 母やおじ、おばはそれに対して喜んでいたけど、日本の葬儀は、残された者の為にあるんだなって強く感じたな。 だって祖母は、ホスピスや死化粧の綺麗さなんてわからないし、もはやそんなことはどうでもいいことだろうしね。 本当に祖母のためになることは何なのかといったら、せめて49日の間、私が経典読みをしてあげることくらいかな。祖母が亡くなってから、私の胸が異常に重たい。 いまごろ祖母はとっても不安がっているだろうな。葬儀がおわったこれからが、祖母にとっては大切な時。 「六道輪廻図」 中央の円に描きこまれた鳥、蛇、豚が、わたし達を輪廻させる苦しみの因。 それは「貪り、怒り、無智」。 ![]() # by tokkom | 2006-03-15 17:27
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![]() わたしたちはみんな、七つの可能性を抱くダイヤモンド by tokkom カテゴリ
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